映画「言葉のきずな」から長野県で活動する、言葉の障害(失語症や構音障害)を負った人たちの劇団「ぐるっと一座」。その活動を取材したのが映画「言葉のきずな」です。この映画の主人公は、会話はちょっとむずかしくても、泣いたり笑ったり、心優しい、どこの街にでもいる人たちです。

「言葉の障害」って、いったいどんなことだろう―
取材をはじめた当初は、正直なところあまり実感がわきませんでした。「言葉がかわせなくて、どうやってコミュニケーションを取るの?」とか「どうやって演じるの?」といった疑問と不安でいっぱい。でも、それは大きな誤解でした。人って、言葉だけで付き合っているわけじゃなくて、表情や身振り手振りも使って「心と心」で伝えるんですね。

映画「言葉のきずな」から劇団の稽古を取材するうちに、彼らの内面に秘められた「心の言葉」が聞こえてくるようになりました。「言いたいけど、言葉が見つからない」というもどかしさ。何度もノドに手を当てて、「ここまで言葉が出ているのに」っていう焦れったそうな表情。撮影しているカメラの向こうの顔が語りかけていました。

それでも、彼らはそのような言葉の壁を乗り越え…(それは途方もない努力と勇気がいることでしょう)…病気になったときの絶望的な気持ち、少しずつ回復していく喜び、他人の親切に涙を流した日のことを、ひとつの舞台へと昇華させていったのです。

言葉のハンディーを持つから、感情がないわけじゃない― むしろずっと家族にすら伝えられなかった分、いっぱい心の中に豊かな感情を持っていること。

元気だったときにはそんなに思わなかっただろう、小さなことにも傷つき、小さなことにも喜びを感じるということ。

たとえ病気になろうが、人はどこかに自分の居場所が必要だということ。

人は生きている最後の最後まで、自分らしくありたいのだということ。

さまざまな人の生き様や思いが交錯する舞台―。

言葉の障害を乗り越える彼らの生き方を通じて、失語症や構音障害という枠を越え、「人らしく生きる」とはどんなことか、わたし自身が考えさせられるようになりました。同時にそのことを実現する難しさも感じています。それでも【誰もがその人の尊厳を持てる地域社会】が生まれるヒントが、この映画の中からいっぱい見つけられると信じます。そして、画面を飛び出さんばかりに熱演している劇団員たちから、たくさんの元気、受けとってください。

田村周(映画「言葉のきずな」監督)

 

「ぐるっと一座」とは

ぐるっと一座1982年、失語症や構音障害となった言語障害者・家族・言語聴覚士やボランティアが集まって、「仲間と一緒にいれば何かができる」という思いから、活動をはじめた長野失語症友の会。

その活動の中から1998年に始まったのが、当事者自身が脚本から舞台作り、役者までこなすという全国的にも注目をあびている「失語症テーマ劇」です。2011年3月には、第六作目となる「あるがまま リビング Living~自分らしく生きる社会へ~」を長野市の“若里市民文化ホール”で上演。発病から病気の苦しみ、自宅に戻っての葛藤、そして生きる喜び…様々な体験を劇に織り込みながら、地域社会で生きる意味を問いました。

その長年の活動が評価され、2011年、「テーマ劇」活動は長野県の「地域支え合い体制作り事業」に選ばれ活動の輪は更に広がっています。これまでの長野市での取り組みを土台にし、テーマ劇が2011年から2012年3月にかけ、長野県各地(松本地区・上田地区・長野地区)で開かれました。

今回の映画制作は、2011年度に行なわれた「テーマ劇・コミュニケーションワークショップ」の制作過程を追い、同時にテーマ劇に参加する劇団員の生活や心の内を描くことで、障害者、ひいては高齢者が地域で自分らしく生きる意味を問うものです。